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Movement series

〜「動き」のシリーズ〜

 


ギリシア世界において、ヘラクレイトスは「万物は流転する」という言葉とともに世界を「動き」で捉えました。

また東方世界で仏教は、「諸行無常」という言葉で絶えず「動き」、千変万化する世界の実相を表現しました。

あらゆる事物は瞬間瞬間に躍動しています。

それはあまりにも身近であるにもかかわらず、あまりにも不思議です。

 

私は、「生命の動き」を生み出す大いなる力、生命の躍動といったものに惹かれ、それをいかにして画面の中に表現するか、ということに試行錯誤を重ねてきました。

もしかしたら、映像や彫刻といった作品の方が動きの表現には適しているのかもしれません。

しかし、もしも私が動きの本質にあるものに触れることができたなら、それを私なりの技法で、日本画の技術で、表現できるのではないかと考えたのが本シリーズになります。

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本シリーズで私が体の動きの本質を捉えるために用いたものの一つが、針金です。

実際のモデルとなる対象の体の動きを私自身が針金を用いて手元で再現することで、その動きを自分自身の中に落とし込むという過程を設定し、体の動きを捉えようとしました。

前転・骨格.jpg
2014「前転」h700×w1455.jpg

針金は厳密に骨格や筋肉を表すのではなく、あくまでその対象の動きにフォーカスしたもので、それは常に可変可能です。

具体である対象を、「動き」というかたちの抽象概念にするために針金はある種の半具体物として機能し、その橋渡しをするのです。

対象を針金に移す過程こそが私がその「動き」を捉え、そのエッセンスを手元に再現しようとする試みであります。

またそれは常に「動かせる」状態であることによって「動き」の本質が劣化しない機能を有しています。

 

こうして針金によって私の元に寄せられた「動き」と私は戯れるようにして向き合います。

その動きの一つ一つを確認するように動かしながら、「動き」のエッセンスの移築が無事にできているかを確認しながら微調整し、必要なかたちを加え、不要なかたちを削ぎ落としていきます。

そして完成した「動き」のイデアともいうべきエッセンスをさらに動かしながら、その「動き」の躍動の光が見える瞬間を探っていきます。

「動き」の本質が垣間見える瞬間は当然のことながら1つの瞬間だけではありません。故にいくつもの瞬間の連続性が必要になってきます。

最終的に表現される画面も、いくつかの瞬間を含んでおり、そこに躍動の輝きを表現しようと意図しています。

 

動きはその主体が存在する空間にも影響を与えます。

空間と主体が相互に影響し合い、エネルギーのやりとりが生じながら「動き」は完成されるのです。

それは仏教でいう縁起の思想のように、あらゆるものは相互に影響し合い、空間と主体は常に一体であるという感覚もイメージしています。

「動き」とは主体のみの出来事に過ぎないのではなく、その主体が存在する空間を揺るがす出来事なのです。

 

また、生き物の動きはその生命が持つ心と不可分なものであると私は考えています。

デカルトのいう相互作用二元論、仏教でいう色心不二ならびに縁起の法理は、心と体が一体であり相互に影響し合いさらにそれが連鎖するということを主張していますが、体の動きは気持ちに影響を与え、心の動き(気持ち)は体の動きに表れます。

「体の動き」に迫った私が次に追求したものは、「体の動き」と不可欠である「心の動き」をいかに描くかでした。

 

心を描くことは、体の場合とは逆に、抽象を具体で表現するという試みであります。

心をいかに表現するかを考えた時、私のイメージに沸いたのは宇宙です。

 

ウパニシャッド哲学では梵我一如といって宇宙の原理と個人の原理が同一であることを説きましたが、私も心と宇宙は似ていると感じています。

宇宙はあらゆるものを生み出す創造性を有し、それはまさに無限の可能性そのものです。

心もまたあらゆるイメージや感情を生み出し、それは汲めどもつくさぬ無限の広がりを有しているもののようです。

 

宇宙は漆黒でありながら無数の色を孕んでいます。

私は心を描く際にこの宇宙のイメージを借りて、心を黒と無数の星々の広がりのような小さな色をちりばめて表現することにしました。そこに輝く光は生き物の命の輝きであり、生命のもつ可能性です。

 

心もまた瞬間瞬間に躍動し、体の動きに合わせて動いているものです。

行動することで気持ちに変化が起こったり、心境の変化で行動が変わったりと、生き物の体と心は影響し合って未来に進んでいくものだと感じます。

 

「体の動き」と「心の動き」を同じ画面に描き出すことで、「今」から「未来」への時間の表現を完成させました。

これによってやっと「生命の動き」というものが描けたと思っています。

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